特別なランチタイム

本質的な価値

昨日、まさかお会いできるとは思ってなかったスタートアップの取締役の方にお時間をいただいて、2時間ほどお話しすることができました。

ちょうどランチタイムで注文した料理を食べながらお話ししていく中で、その方から投げかけられた質問とその答えにすごく考えさせられました。

ハッとした質問
「じゃあ、ちょっと考えてみて。今、この目の前にあるこのジュースの価値はどれくらいだと思う?」

そう優しく問いかけられたけれど、私はなんて答えたらいいかわからず、「うーん、メニューに書いてある価格ですかね・・・」と答えてみた。

その答えに、その方は笑ってこう教えてくれた。

「うん、そうね。でも僕はね、あくまで価値を教えてくれと言ったんだ。価格がいくらかとは聞いていないよ。」

価値って、いくらとかの価格じゃないの?

この人が言っている「価値」ってなんのことなんだろう・・・

私はどう答えたら正解なのか全く分からなかった。

自然と絵に描いたようなしかめ面になっていた。

すると、その方は「価値」についてこんなお話をしてくださった。
そのお話を聞いて、私はハッとした。

「メニューに書いてある価格は、店側が決めたものだよね。君が決めたものではないよね。

価値と価格は、一見同じに見えるかもしれないけど、実は全く別のものなんだよ。

例えば、ペットボトルの水が1本目の前にあるとするよね。
そのペットボトルが、都内のカフェにあるときと、家にあるとき、砂漠の真ん中にあるときで、君のそのペットボトルに感じる価値は全て同じかい??」

確かに違う 。同じものでも、環境や場面によって違うんだよね。1本1000円のペットボトルの水が、日本ではかなり高く感じる。でも砂漠の真ん中で喉がカラカラで死にそうになっていて、同じペットボトルが売られていたら私は一瞬も迷わずにお金を払うだろう。

「場面や環境によって変動するもの、それが価値なんだ。

この◯◯にならこれくらいのお金を払ってでも欲しいと、喜んで買いたいと思えることが本質的な価値じゃない??

また、同じものでも受け取る人間によって感じる価値は違うよね。
だから、一つのものでも受ける人数だけの価値観があると思うんだ。

ただ一方的に決められた価格を渡すのか、自分が感じた価値を価格としてお金に換算して渡すのか。思考停止で従っているのか、自分で感じた価値を重視しているのか。
この二つには大きな差があると、僕は思うよ。」

確かに価格も大事だけど、価値という視点からも物事を見れると世界の見え方も変わる。というか、変えていった方がいいと私は思った。自分が本当に価値を感じたなら、価格に上乗せして渡すこともできる。お金をツールとして捉えることの大切さについて、ちゃんと考えたことなかったなあ。

私が創造したい価値

私は今「褒め屋」というお仕事を通じて「みんなが明るく笑顔で生きられる世界」を作りたいと思っているんだ。
(この動機については長くなるのでまた別でお話します!笑)

あるとき、褒め屋を受けてくれた方で私にこんな言葉をかけてくれた方がいた。

「もっとお金を払ってもいいくらい楽しい時間を過ごさせてもらいました、ありがとう。」

人からお金をもらうことに苦手意識がある私は、この言葉を聞いたとき胸が熱くなるほどうれしかった。
そのときは、私はこのクライアントさんに満足してもらえるだけの仕事ができたんだなって。
もちろん毎回全力で仕事しているんだけど、ほんの少しの不安はいつもあるんだ。

そして今回この「価値」についてのお話を聞いたとき、この人の気持ちがより理解できた気がした。

クライアントさんは、私のサービスに価格以上の「価値」を感じてくれたんだなあと。

お金が減ると考えるのか
お金を渡したいと考えるのか

同じ「お金を使う」という行為でも、捉え方によってこんなにも違うということに気づいた特別なランチタイムだった。